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歴史小説と史実

歴史小説と史実

講演者:井上靖

1974年10月31日 京都

再生時間:54分53秒

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提供:岩波書店

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内容紹介

歴史小説家として数多くの名作を残した井上が、講演当時、『世界』に連載していた『わだつみ』執筆にあたって、資料に乏しい時代の背景をどう書きこもうとしているかの苦労を語る。続いて『おろしあ国酔夢譚』、『永泰公主の首飾り』、『蒼き狼』、『額田女王』、『本覺坊遺文』などの執筆秘話を公開する。資料として同時代史料をどう使うか、和歌をどう解釈して小説に活かすか、ゴシップや説話の類、肖像画や遺書をどう取り込むか、史実小説とロマン小説はどう違うのか、などについて、経験を踏まえた作家ならではの含蓄深い話が披露される。

講演者紹介

井上靖

1907−1991年。小説家。北海道・旭川市生まれ。伊豆・湯ヶ島で幼少期を過ごす。京都帝国大学哲学科卒業。作品は多数あり、受賞作となった主なものを発表順に上げると、『流転』(千葉亀雄賞)、『闘牛』(芥川賞)、『天平の甍』(芸術選奨)、『氷壁』(日本芸術院賞)、『敦煌』『楼蘭』(毎日芸術賞)、『淀どの日記』(野間文芸賞)、『風濤』(読売文学賞)、『おろしあ国酔夢譚』(日本文学大賞)、『本覺坊遺文』(日本文学大賞)、『孔子』(野間文芸賞)などがある。

注釈

岡倉天心

1862−1913年。明治美術界の先覚者。東京大学で政治学・理財学を専攻し、着任したフェノロサの感化を受け、フェノロサとともに日本文化の振興を図った。東京美術学校を創立して校長を務め、美術雑誌『国華』を創刊した。のち日本美術院を創立した。

法隆寺金堂

7世紀後期に創建。がんらい本尊を収めるところで、百済観音と玉虫厨子は当時、金堂に入っていた。仏教壁画が描かれていたが、1949年焼失した。

高浜虚子

1874−1959年。俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。河東碧梧桐の親友で、正岡子規に兄事した。『斑鳩物語』は明治40年(1907)年の作品。

里見弴

1888−1983年。小説家。横浜市生まれ。高浜虚子の『斑鳩物語』を読んで志賀直哉とともに法隆寺を訪れ、『若き日の旅』(1940年)にまとめた。

モラエス

1854−1929年。ポルトガルの海軍士官、外交官。小泉八雲と並ぶ日本文化の紹介者。1898年に来日し、神戸・大阪総領事を務めた。日本人女性と結婚、妻の死後、郷里の徳島に隠棲、日本の民俗文化の研究・執筆に勤しんだ。

大黒屋光太夫

1751?−1828年。1782年伊勢から江戸への航行中に台風に遭い、漂流中にアリューシャン列島のアムチャトカ島に着き、4年後、カムチャツカ半島に渡り、ヤクーツク、イルクーツクに入り、1791年首都ペテルブルクに到り、女帝エカテリーナに謁見。1792年、3人の帰国が認められ、遣日使節ラクスマンに連れられて帰国し、将軍家斉に謁見した。当時の10年間の漂流の顛末を語り、桂川歩周がノートを取った記録が『北槎聞略』となった。このことを作品化したのが井上靖『おろしあ国酔夢譚』である。

永泰公主(えいたいこうしゅ)の墓

中国陝西省西安の郊外にある乾陵の陪塚のひとつ。永泰公主は唐高宗と則天武后の孫娘で、17歳のときに則天武后の怒りに触れ、杖に打たれて死んだ。706年に乾陵に陪葬された。墓室壁・墓道壁には彩色の壁画が施され、高松塚古墳の壁画によく似ている。

『元朝秘史』

チンギスハーン家の歴史を「蒼い狼」の伝説的時代から始めて生涯の事績、太宗、オゴデイの業績を書いた歴史年代記。

井上靖『蒼き狼』をめぐって

ベストセラーとなった『蒼き狼』(1960年作)について、大岡昇平は1962年、史実に基づかないもので、歴史小説ではないと批判した。

額田王と大海人皇子と天智天皇

天智天皇の後宮である額田女王が天智天皇の弟・大海人皇子との間で、近江の蒲生野に狩りにいったさい、「あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る」「紫草のにほへる妹をにくくあらば人妻ゆえにあれこいめやも」の歌を読み交わした。歌は『万葉集』に収められている。江戸時代の国学者はこの歌を壬申の乱の遠因とし、単なる媚態がアララギ派の歌人の立場。

千利休

1522−1591年。茶道の完成者、千家流茶道の開祖。大徳寺で参禅し、茶会を開催、織田信長の御茶頭となり豊臣秀吉に重用された。侘茶を完成し、草庵風の茶室様式を築いた。1590年、秀吉の怒りを受けて翌年に切腹した。

長谷川等伯

1539−1610年。画家。仏画・肖像画を中心に制作、またやまと絵や中国の花鳥画を学んだ。千利休とも親交を結んだ。


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・録音音声の中には、今日においては不適切と思われる表現がありますが、音源または原文の歴史的価値を尊重し、改変を加えずそのままとしました。
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